岩手の家づくりは、昭和から。

先日、当社に関西関東を中心に
十数社の社長さんやスタッフの方々が来社。
そんな方々を前に拙い話をしなければならず。

講演の冒頭で当社の歩みを紹介したのですが、
自分でも当時をつい懐かしく思い出してしまいました^^;

昭和の住宅屋

お金もコネもない者が独立してスタートしたのがこの事務所。
最初は食堂の居ぬきだったところのごく一部6坪ほどから。

ほんとうの仕事場は家づくりの現場。
事務所が立派だからって、いい家ができるとは限んないべ。
まずはいい家をつくることだけに専念するべ。

にしても、
この事務所を見る限り、ここからアメリカと通じ子会社まであったなんて、
私でも想像できません(笑

そうこうして3,4年もすると人数も増え、借りる面積も3倍に。
それでも手狭になった。

そこで事務所移転も考えることになったのだけど、いろいろ調べてみると、
事務所より問題だったのが、駐車場が確保できたとしても分散することに加え、
駐車場コストが結構高額になることがわかってくる。

それならば・・・

新築もありかも?

と検討した結果、創業5年で新築することに。

賃貸だった場所は県道沿いでトラックやダンプもたくさん通る。
危ないので打合せに来られた方のお子さんたちをスタッフがしっかり手を繫ぎ
つきっきりで散歩しなければならない状況でした。

そんな経験から建築場所は子どもが安心して外で遊べることが第一条件。
道路沿いではなく、奥まった場所で良しとなったわけです。
道路沿いに事務所があったとして、通りすがりに家を買う人はいませんから(笑

当初の計画は平屋建て。
ところがそれに2Fを丸っと上げたとしてもコストは倍になるわけじゃないべ。
てなことで結局当初案よりかなり大きくなってしまったけど、
今になって思えば結果良かったかなと。

平成の住宅屋
これが入居前の新築したばかりの写真です。
黒土で均されているところが、現在芝になっているとこ。

懐かしい!!

イメージしたのは、憧れだったアメリカシアトルで見た森の中のオフィスたち。

現在の住宅屋

23年後の現在の事務所風景。

それが今やっとイメージに近づいている。

でもね、
枝の剪定、芝刈り、肥料、雑草取り・・・
事務所の環境維持に結構手間はかかる。
手間もかけずにいい環境は手に入らないってことですね。

当時から今まででこの敷地内に増えたものと言えば・・・

 ①実験棟初代次代合せて4棟

 ②アメリカンな物置小屋

 ③アメリカから輸入したバスケットゴール

 ④住宅展示場

 ⑤入口看板 
 入口看板なんて構想だけなら20年(笑、
 結局、看板業者ではできそうになかったので手づくりにて2年前に完成。

手をかけ育むものがあれば、時が勝手に育むものもありなようで。

家づくりも四苦八苦した挙句にできないこと、
今は不可能でも、時が可能にしてくれることもあるような気がします。

まあ、仕込み念入りに。
あとは焦らずゆっくりと、熟成するまで待つ。
そういう家づくりがあってもいいのかもしれません^^

 

 

岩手の注文住宅なら。

 

4 件のコメント

  • 初めて大共さんの歴史を見させていただきました。
    こつこつこつこつと一つ一つの仕事の積み重ねで、今があるわけですね。

  • やっぱ親方カッコイイっす!
    九州営業所があって、自分が家を購入するときに知っていたら、我が家も違ったものになってただろうなぁと思います。

  • hiroさん、いつの間にか28年ですよ。
    これもご縁を頂いたたくさんの皆さんのお陰です。
    ありがとうございます。
    規模の発展は求めないけれど、これからの家づくりが進化し続けられるよう精進しますので^^

  • KEKENさんが九州から岩手に移住してくれてたら、
    おもしろい状況になってたかもしれませんね^^
    私の生息域は最高気温30℃以内ですから(笑

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