故郷へ刻んでいた視界

今日はぺっこノスタルジックなオッサンの戯言を。

3月28日、我がふるさとへの道、
国道106号宮古盛岡横断道路が全線開通とのニュース。
宮古盛岡間で40分の短縮だという。

こりゃあ、これから便利になるべ。
近いうち一度お袋の顔見ついでに体験すとかねばねえなあ。

と思っていたので、早速昨日の休みに行ってみることにした。

最初に意表を突かれたのは、視界に入った梁川ダムの水。

正月はいつものように山しか見えなかったのに、ダム湖の水面を眼下に走るのもいい気分だ。

 

調べたら、どうやら試験湛水(岩手県)は昨年10月から始まっていたらしい。

コロナニュースに押されてか、地元ニュースに疎くなっていた自分を反省。。

見えているガードレールの手前が旧国道で、今日現在この地点が梁川とダム水位の合流点のよう。
以前はここを走ってたんだよなあ・・・なんだろなあ、これって。
と不思議な感覚になった。

さあ、ここからはせっかくなので便利さを味わうべく蟇目までノンストップで行って見るか。

まずは正月の帰省時に体験済みであった新区界トンネルを抜けた所までは良かった。
その後は何カ所かは旧道と重なるが、殆どがトンネルの中の感覚。
トンネルの中では今どこらへんを走っているかなんてまったくわからない。
トンネルの切れ間の景色で瞬時に判別しようにも、その景色に記憶はない。

トンネル内の景色はずっと一緒で変わらないし。

まるでタイムトンネルだ。

こ、これって・・・

我が故郷への道とは違うべ。そう思った。

トンネル内の速度制限は、80キロ。
軽バスだった私は後続車両に煽られる感覚なので、のんびりと走ってもいられない。

それでも必死に蟇目まで抜け、停車して時間を確認すると確かに早い。

けど・・・、やはり故郷への道ではない。

実家に辿り着くまで1時間ちょっとだったけど、宮古街道である106号の道に入った瞬間から実家に着くまでの視界をこれまで刻んでいたのだと改めて思い起こしたような気がした。

実家までの移り行く視界に、
あとどのくらい距離、時間で着けるかが分かるか、あと何分で会えるか、を刻んでいたのだ。

そんなことに気付いてしまったら、

帰りは、旧道を走りたくなる。

宮古から走り、茂市の岩泉への交差点を越えたあと、ゆったり館辺りの下り坂から見通しの良いこの道路の曲線がなぜか気に入っていた。ここから実家まで15分くらい。

5年前の台風10号で流された橋。
しばらく復旧されないのでこのままなのかなあ、、
と、ここを通り過ぎるたびに心配していた橋がいつの間にか架かっているではないか。

ここは北上山地。
ひとっ走りしただけで、梅、桜、紅葉、積雪、気温など短い時間でそれらの移ろいを感じていたのんだよなあ。

新旧の橋が並走するこの景色を旧橋から、

 あれが未来のタイムブリッジかあ!

などと、この時の私は未来を想像する旧人類と化していた。

宮古市編入前の旧川井村、ここは村最東端の古田部落。
ここまで来ると、おらほの村に入ったべえ!と思えるポイントだ。

旧道では貴重な追い越し可能な直線道路も閑散としたもの。
以前なら路上駐車なんてできなかったのが、おかげさまで駐車はどこでも思うがままだ。

ここがわが村の銀座通り。今は旧旧道になるかと。
ぺっこ昔自慢するなら・・・
今はないけど、私が子どもの頃は薬屋さんから駄菓子屋、映画館まであったのだ。

村銀座から2キロほど、この八幡神社のカーブ、

ここに差し掛かると、家までもうすぐだべ!と思えるポイント。

そして左側に、

旧旧道になってしまった戸草橋がある。
よくこの橋の上から釣りをして遊んだ。

今も誰か釣り遊びするのだろうか。
今はもう数えるくらいしか子どもいないからなあ・・どうなんだべ。

ここまで来るとしめたもの。
夜は街灯などなく、真っ暗になるのでこのガードレールを叩きながら歩いていた。
右山麓の家の外灯が放つ蛍程の灯りが視界に入るとそれがゴールの目印となっていた。

そして、ゴール!

お袋と他愛もない話をして帰り間際、

 もってげ!

と差し出されたのがこれ。

ニホンジカの角。

なにすたのこれ?

 スカんどぅが庭さおどすてったのさ。

いっつも来んのがや?

 んだ、夜んまかださ来で生垣全部食われだが。

 サルも子っこさしょって来るす。
 スカはおっかなぐねえども、サルは人見ればおごってくんの、
 だがらおっかねえのよお。

貰ってもどうしたものかと思うも、せっかくなので貰ってしまった。
話によると、角は対で二つ揃うと産直で売れるらしいが、片方だけだと売り物にはならないらしい。

盛岡方面からだと、ここが

やっと帰って来たあ!と思えるポイント。

橋手前にあるコンクリートの塊は、吊り橋だった頃の橋脚で、
この場所がプールのなかった頃の学校公認の遊泳場。

この遊泳場で一人前と認められるためのステップは、
第一ステップ:対岸まで犬かきで泳ぎ切れること。
第二ステップ:橋脚の上から飛び込めること。
第三ステップ:皆の腹ごしらえとなる上流から流されながら突きで魚を獲れること。

こんなことしてたら、今だったら怒られるんだろうな。
いやあ、ほんとうに良き昭和だったかな。

その後、川の流れを見ながら旧旧道を流していると・・・

第一村人発見!

しばらくの間、微動だにせず第一村人と見つめ合い、

こちらが動くと村人も動き、

またも見つめ合ってしまったのは、ニホンカモシカ。

ニホンジカの角を持ってたから呼び込んだ?
いやいや、そんなことはないべ、こいつはウシ科だ。
シカと一緒にすんなって。

区界高原手前の直線路。
ここまで来ると、レストハウスでソフトクリームでも食うべかって気持ちになる。

区界高原の象徴、兜山。
概ね、ここが故郷への中間点のイメージ。

旧道のほとんどが川沿いなので、川幅や流量、渓相も味わうことができていた。

旧道となってしまったレストハウスのレストランは閉店した様子・・

峠から盛岡方面の曲がりくねった下り道、冬場は一番緊張するアリア。
冬以外なら、このパーキングスペースからの眺めは好きな視界の一つ。

新道を走ると、この視界のすべてが見えない世界となった。

これまで刻んできた故郷までの視界は、そう簡単に捨てられるわけはない。
だから、記憶が薄れるまでは、時間が許すならできるだけ旧道をのんびりと走ろうと思う。
路駐しまくりながら。

旧道になったものの、きっとこれからも生活道路として使われるだろう。
けれど夜間となれば、車1台走らないって旧道もあるはずだ。
幅広い旧道は贅沢な獣道か、動物たちの楽園と化すかもしれない。

川井村的には在来種だったクマ、ニホンカモシカ、タヌキ、キツネ、テン、ウサギ、キジ、ヤマドリに、いつの間にか加わった外来種のニホンジカ、ハクビシン、サル、イノシシたち。

それならそれで、

夜のサファリパークとなった旧道を楽しむ、

なんて日が来るのは、そう遠い話ではないかもしれない。

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