今日しかないべ!てことで今朝5時に出かけた実家の墓掃除。
何かに出くわすかもしれないと楽しみにしていたけど、残念なことに何者との遭遇もなし(笑
墓所傍にある小屋脇に水道があるが十数年使えないままになっている。きっと山の上なので数理代も集まらないからなのだろう。なので掃除用の水は沢からバケツで汲み上げて使う。雨で沢水が濁っているかも?とぺっこ心配したものの閉伊川には多少の濁りはあったがそこはさすがの沢水、濁りの引きは早い。
墓所は北上山地の中心部太平洋寄りの山間にある。
掃除を終えて墓所の正面にある畑地に視界を移すと、昔の風景が蘇ってくる。
この手前には何枚かの田んぼがあって・・・それ以外は畑が広がっていたしぶどう棚もあった。
それが今はごく一部のネットで囲まれた部分だけが使われているのみ。
恐らくここの主さんたちはもう70代以降の人たちだと思う。
とすれば、現実問題として維持するのは難しいんだろうなあと。
それこそ、帰り道の宮古街道脇の田んぼ、畑の殆どが耕作放棄地化していることに今日気付いた。
庭には雑草が生え人の往来の形跡を感じない家もちらほら。
昔大人数の家族が一緒に住んでいた頃なら家族分の食を自給自足に近い形で賄う必要もあったはず。それも少子化となり、その子どもたちも巣立ちやがて夫婦と爺婆だけになる。やがては夫婦だけで食べる分なら畑も田んぼも半分も要らない。何分の一かでいいはず。
耕作されてない畑地の一角に3、4坪程度の野菜が植えてある場所が視界に入る。
自分が一人が食べる分だものと、一人暮らしの高齢の姿を思い浮かべてしまう。
震災後道路は立派になった。
なのに、道路脇に住まう人たちの活気は失せそのギャップだけが大きくなっているように思うのは私だけだろうか。
人口推移とか出産年齢人口とか出生数とか、いろいろ頭で考える過疎化と限界集落の話はこれまでもあった。でもこれほどまでに視覚的に過疎化を意識したのは今日が初めてだ。
以前四国に行った時、四国大橋の話をを思い出す。
四国大橋ができたことで四国からの若者の流出が促進されてしまったのだという。
それは橋ができたことでいつでも帰って来れるからという心理が働いてそうなったらしい。
道路など交通、通信のインフラが進化すればするほど、距離は短くなる。
時短となり移動しやすくなればなるほど地方の田舎がより過疎化してしまうものだとしたら・・
なぜか、昔の不便さに価値を見出したくなってくる。
今更だけど。
我がふるさとも田んぼはほとんどありません~!
うしさんの街とは言いますが活気はさっぱりですね~!
うしさんだけでも活気があるならまだいいじゃないですか。