ご無沙汰してすみませんでした。

久しぶりの投稿です。
ご心配をおかけしてしまいしましたが、私もみんなも元気です。
ご迷惑をおかけしていた電話&メールもやっと復旧しました。
これでやっと通常業務です。

数日前、通信端末を申し込みし、何度か投稿しようとしました。
でも、いざ書き込み始めると途中で「だめだこりゃ」てなことになり、
結局投稿できませんでした。

正直、今回の震災があまりに大き過ぎました。
家族や大切な人を失った方、家が被災した方、
家だけでなく住んでいた街、職場まで一瞬に失った方々に、
かけるどんな言葉があるのか・・・
そう思うととても私の頭では及ばないことです。
現実のことと頭ではわかりつつ、受け止めきれていないようです。
それは皆さんも同じなのかもしれません。

だけど、
言葉は見つけられないけど動くことはできる。
今、できることを一つ一つ進めておこう。
そんな気持ちで毎日を過ごしています。

地震後、施主や友人たち、その家族の安否、震災の有無などの
確認に追われました。
社員の家族も犠牲になりました。
施主も友人も被災しました。

でも、私は元気ですよ。
暑がりの私ですから時々目に汗もかいてしまいますが、それも次への元気です。
その元気でさっそう?と、チャリ&歩きでGSの車列を横目に動いています。

先日、被災したお施主様の家に行ってきました。
地震二日後にも確認してましたから、今回は施主さんと連絡がとれての2度目。
一度目に行った時は施主さんの家を発見することはできたのですが、
大きな漁船が道を塞いでいたことと、夕方だったこともあり、
一つ手前の路地から倒壊した家を瓦礫越しに確認できただけでした。
それでも遠目にも1階はすっかり浸水したことはわかり、
その後の対処についてをイメージした。

ところが今回、家の前まで行くとそこは私の想定を大きく超えていた。
流れつき溜まった多くの瓦礫、
家に体当たりしたまま折り重なっている黒や赤い屋根。
津波で流され体当たりした屋根は後方のも含め計三つ。

私も含めかけつけたスタッフ4人、手分けして内外の確認作業開始。
外壁にはあちこちに大小の損傷。
だけど、傷つきながらもそれでも微動だにせず、
そこにじっと立っていてくれた家。
その家はとても大きく見えた。

よく頑張ったな。
傷ついてて、汚れてて、ちょっとみすぼらしいけどな、
今のおまえは最高にかっこいいよ。
それがその時息を詰まらせながら出た言葉だった。
その後は、おまえはすごい、ほんとよくやった、
とずっと囁きながら応急手当てをしてあげた。

施主さんご家族の無事の顔を見ることもできた。
電話で皆さん無事とは聞いてても、
やはり直にお会いするほうが何倍もほっとする。

施主さん家族に会えたことを夜事務所に帰ってから一人神棚に報告とお礼。
そしたらまた、張っていた肩の力が抜けたからか安どからか、
急に胸が詰まりこみ上げてきてしまった。

本当はスタッフ4人と、想定し得る道具類、発電機や電動ツールなど、
ありったけの機動力を車いっぱいいっぱいに積み込み準備してあった。
でも、結局はすべてを手作業で行った。

準備していた機動力は使えなかったのではない。
周囲では被災した人たちみんなが手作業で片づけやらをやっていたから。
そんな中、その家だけ私たちだけがこれ見よがしに、
発電機のけたたましいエンジン音を発するなんてこと、
心情的にできなかったというのが正直なところ。

自転車のある人間は自転車で動き、極力ガソリンは使わない。
とスタッフみんなで決めた。
こういう時のためにガソリンを大事にとってあったはずなのに、
こういう場面では、あっても使わない方がいいということもありなんだろう、
と一つ学んだ。

ガソリンがないことだけを理由に休業する会社が多かった様子。
被災した人たちは被災しながらも自らの体のみででも動いている。
それを思うと動きを止めてなんていられない。

便利さに執着すると、歩が止まる。
歩が止まったら、何も変わらない。
あってあたり前の便利さも、元々なかったと思えば、
気楽に自転車にも乗れるし、歩くことだってできる。

もし、へこへこ歩いてる時、後ろからガソリンが追いかけてきたら、
その時はガソリンの世話になればいい。
ガソリンが切れたらまた歩けばいい、
そしたら一歩でも早くそこにたどり着ける。
そう、ただそれだけのこと。

そんな気持ちで、

一歩一歩、

みんなと一緒に歩いて行きたいと思っています。

これからもよろしくお願い致します!

4 件のコメント

  • こんにちは、R です。
    私も何度かこちらに投稿しようかと思いながら
    なんて書き込めばいいのか、悩んでおりました。
    私は自分地震が被災者なのかといわれると違う気は
    するのですが、被災に関連して不便な生活には
    なっており微妙な気持ちです。
    大共さんの家は地震で大きな被害が出るような、「ちゃち
    な」もんではありませんから気になりませんでしたが
    (20年たった実家も被害なし)津波の被害は想像でき
    ません・・・。
    昔気仙沼に住んでいたのですが、当時の同級生が行方が
    わからなかったり、親戚も何人かみつからない状態
    が続いていますし、沿岸は相当悲惨な状況なのでしょう。
    我々無事だったものが、力を合わせて復興していきたいと
    思い、みんなで励ましあいながら頑張っております。
    一方で、盛岡もほぼ復旧してきましたが、車社会なので
    仕方がないとは言え、ガソリンの給油の列は閉口しますね。
    職業柄電気がないと何もできない仕事ではありますが、
    今回の地震で改めて電気やガソリンなどへの依存を痛感
    しました。
    自分ができることは何か?というのを考えながら
    頑張っております。
    こういうとき、復旧の直接の原動力となる親方たちは
    すごいな~と思います。私はお手伝いくらいしかできない
    かもしれませんが、何かサポートできることがありましたら
    お声かけ下さい。
    希望を持って前向きに行きましょう。
    これからもよろしくお願いします。

  • Rさん、私たちの場合、不便はあったとしても
    一時的なもので復旧してしまえば生活は元戻り。
    あって当たり前のものが他力依存で有限だったことに気付かされたことを考えれば十分余りあるのではないかと、
    私は前向きに考えるようにしています。
    確かに私たちは住まいを復旧させるための、
    お手伝いをできる仕事です。
    しかし、今回は「できる」「やれる」という気持ちが
    被災した人たちには欠かせないような気がします。
    個々に離れていて甚大な被災を受けた町や集落、
    この町は今後どうなるのか・・・という不安を、
    これまでよりは小さいけれど、
    これからはこういう町をみんなでつくるんだ!
    という風にこの先が見えるようにしてあげること、
    それがきっと復旧復興の原動力になるのではないかと。
    やはり、人間は心の生き物なんだと改めて感じます。
    Rさんのおっしゃる通り、希望を持って行きましょう!

  • 3日間宮古に行ってきました。地震と違い津波の被害は線を引いたかのように運命を決めていました。恐ろしい限りです。
    空爆のような被害の中,新しい感じのする家屋のいくつかがしっかりと立っていました。家の造りによって被害も変わるのだと実感してきました。
    これから何十年と復興にはかかるでしょう。われわれはこの災害を忘れないように,何十年と語り継ぎ,支えていかなければならないと思いました。

  • hiroさん、宮古に行ってられたんですね。
    同じ場所にありながら残る家とそうじゃない家。
    どうやら観たところ、
    一つは金物の有無で被害の程度が大きく違っているようです。
    私たちの仕事でも今回のことを教訓に、
    施工法の大切さを今後に伝えていかなければと思っています。

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