炎への憧れ

炎を眺めていられる時間が好きだ。
BBQでも、夜残り火を眺めて過ごす夜の時間は別格。
家人から見ればくだらない時間に映るようだ。

家では薪のダルマストーブを囲んで育ち、
子どもの頃なら、夏は毎日川でたき火を友と囲んでいた。
だからでしょうね、水と炎に私は反応してしまう。

炎のある暮らしって①の画像

これは年中親方’s Barも楽しめるだろうし、あったらいいな。

炎のある暮らしって②の画像

そして、暖炉。

きっと私の場合、自宅で薪で火をおこしている時間は考えにくい。
ガス暖炉がいいかも。
スイッチで着火、小一時間もしないうちに寝落ちしそう。
だからこそ、その一時間が欲しいかな。

なんて、

もう20年も妄想を描き続けている。

私は暖炉って、床面に設置されるものとばかり思っていた。
それがあるとき、ガス暖炉だと上部にも設置できることを知り、
これなら小さな子どもがやけどする危険はない、そう思った。

これで、暖房したいわけじゃない。
ただ小さな時間に、小さな暖を感じたい、見たい、それだけ。

それって、、、ぜいたく過ぎるだろうか。

ちょっと悩んでは消える、その繰り返し。

久しぶりにまた、その虫が今ムズムズとしている。

抱え続ける憧れもあり、実現してしまうあこがれもある。
その両方があるから楽しいのかもしれない。