ちょっとさぼってしまったので、ここ数日のことを。
13日の朝。
工場にて輸入40フィートコンテナの荷受け。

これはこれで待ちに待っていたもので、
製品の入荷状態をチェック。
その後、午後は宮古へ。
被災した施主宅周辺での瓦礫撤去が思いのほか早そうなので、
急ぎ段取りをつけた方が良いとの判断からだ。
午前の打ち合わせには担当者を先に向かわせていたので、
私はその後追いとなった。
この日、現場脇には1本の電柱が立った。
これなら送電線の復旧もそう遠い日のことではなさそうだ。
よかったあ!これで目途がつくかもしれないと喜んだ。
そしたらなんと、
その日の夕方には送電線も引かれてきたではないか。
ここまででも、すごい!と感心させられたのに、まだその先があった。
送電線を引いたと同時に、何やら住宅への引き込みもする気配!?
それは私たちが夕5時を過ぎてて帰ろうとした時だ。
作業車が出口を塞いでいたこともあり、しばらくその作業を見守った。

4台の高所作業車をそれぞれ自在に操る人たち。
その交互の連携の素晴らしさに目を見張る。
彼らは縦横無尽に動く。
正に、宙を舞うという表現がぴったりだ。
彼らによって復旧が支えられている。
やはり、日本人てすごい。
そう思わせてくれた貴重な場面に出会えたことに感謝したい。
そしてその後、もう一軒の被災した家へと向かった。
その家は私の友の実家。
その家の外壁には寄り添うように3台の乗用車があった。
聞けば、自分の家とは関係ない流れてきただけの車だという。
そして家の裏には未だ撤去されない大きな遊覧船が横たわる。
この家もまた1階の殆どが浸水した。
私が行った時は、片づけのために帰省した友が、
黙々と水洗いをしているところだった。
何ができるかわからないが、できることを俺はやりたいんだ、
そう話していた友に、ウォータープレッシャー用に私は発電機を届けた。
ホースとブラシでゴシゴシやるよりずっと早い!と友は喜んだ。
手作業で泥だしまではいいだろう。
でも細かいところまできれいに水洗いするとなれば、
手作業では少し難がある。
発電機がたくさんあったら、発電機みんなに貸せるのに・・・
と思うが、悲しいかな台数がない。
注文しているものもあるが、納品日がわからない。
そんな現状ではそれも今は叶うはずもないのだが、、
その晩は、久しぶりにおふくろのメシでも食うかと実家に帰った。
そして昨日、妙に花粉と黄砂の濃度感じながら現場へ。
当社では数人が花粉に悩まされている。
アレルギー症の私と言えば、今年はなぜかそれほどでもなく、
今のところ何とかやり過ごせている。
当社には花粉も黄砂も、モノともしないパワフルな連中がいる。






彼らのこのスピードとパワー、そして笑顔。
これも大切な、日本の元気なのかもしれませんね。
今日は、午前、避難所から昨日滝沢に避難して来られたということで
施主さんのご両親がわざわざあいさつにと来社。
お父さんは地震から避難へと判断したことについて話してくれた。
地震の後、海の様子はわからなかったが、
井戸と下水の水が引いたのを見て、
これは津波が来るぞとわかったのだと。
それからみんなに、
車には乗るな、車は置いて避難するぞ!
と声をかけて高台へと避難したのだと。
そのお陰で車4台流されてしまったんだけどな。
そう言いながら、ちょっとくやしそうに笑ったが、
先人の教えの大切さがよくわかる話だった。
午後は建築予定地の下確認へ。

作業を終え、ふと景色を眺める。
まだ所々に残雪が残る。
でも、豪雪地帯であるこの場所にも、
やっと春が来たんだなあって感じさせてくれた眺め。
枯れ草の下に隠れたふきのとう、
そこに気づける余裕というかそんな心の隙間っこを、
いつでも持っていられる人間になれたらと思う。
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