旅立ち

「我が家」という巣箱から、今朝二羽目が巣立って行った。
盛岡駅まで送る車の運転中、冗談を言いながらその場を紛らわしてると、
あっと言う間に駅の降車場に着く。

旅立つ息子に現地まで同行する母鳥に
「おとうさん、最後に何か言うことはないの?」とうながされ、
息子に歩み寄ったものの、言葉が浮かばない。

結局、口から出たことばは、
「分かってるよな・・・」と情けないものでしかなかったが、
それでも、息子ははにかみながらうなづいてくれた。

息子は「じゃあ」と駅舎に向かって歩き出し、
そして、駅舎に姿が見えなくなるまで振り返らなかった。
当時、私がそうだったように。

私は駅からの戻りの運転中、ただひたすら前を見ていた。
駅まで見送るという母の申し出を断り、
家の前で母に見送られた自分の旅立ち。
あの時の心境とぐるぐると交錯した。

とぼとぼと坂道を下りながら、背中に感じた母の想い。
振り返ったら、旅立ちへの不安や寂しさを抑えきれない
そんな自分を断ち切るようにただただ歩を進めた。

駅に背を向け、ただ前に車を走らせた今朝の心境は、
旅立つあの時の自分と変わらなかった。

本当は旅立ちに親も子もないのかもしれない。

親は子離れするため子の背を見つめ、
子は親離れするために背を向けたまま歩き出す。

ただひたすら彼が元気であることを願う。

5件のコメント

14年前に旭川を出る列車の窓から、手を振る親の
顔を見てウルウルきたのを思い出しました。
親父の口癖は「体にだけは気をつけなさい。」
子どもは何年経っても子どものまま。
たまに元気な姿を見せるのが、離れて暮らす今できる
唯一の親孝行だと思っています。
先日、孫の顔を見に両親が来ました。
帰りの花巻空港で二人にかけた言葉は
「健康には気をつけてね。」でした。

誰にでもそういう時がくるのでしょうね。
我が家の場合も,遠いようですぐなのかもしれません。

アルボンさん、いつでもどこでもいつまで経っても
親子のままなんですよね。
でも、アルボンさんのように離れていればいるほど、
何かよくわかりませんが、
信じる力っていうのか、強くなるような気がします。
親も子も元気でいることが一番!ですよね^^;

hiroさん、こういう時期がくるのはわかっていても
いざ、この時を迎えると詰まるものがありますね。
きっと、数日経って家の空気の違いに
第二波の感傷が押し寄せるんですよ、きっと・・・^^;
一羽目の時もそうでしたから。

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