家庭から消え去る炎

P505iS0010617165.jpgの画像 会社にある暖炉に火をいれ、
炎をじっとながめていると
たき火でもそうだが妙に落ち着いてしまう。

わが家で火をみることもなおさら煙もない!・・・???残念ながら火のないところでも喫煙はたっていた。
けっして火を惜しんでたばこを吸っているわけだは
ないが・・・

たまに暖炉の火をながめてしまうと言い知れぬ懐かしさを感じてしまう。
子どもの頃は、蒔きストーブがあってヤケドをし、熱さも怖さも知ることができた。
夏は川で泳ぎ、突いた魚を焼き、その焼きこげが絶品でうまかった。
畑で失敬したトマト・きゅうりもしっかり冷やしておき食べる。
よもぎの枯れ葉をもみこみ、たばこのつもりでおとなの真似ごと。
こどもなりのイタズラに小さなヤケドが懐かしくなる。

蒔きストーブが消え、石油の反射式ストーブとなり、ファンヒーターになり
足をヤケドした練炭コタツも電気コタツになり・・・
台所もガスが電磁調理器になり、家の中から炎が消えた。
簡単!便利!安全!をうたい文句に。

今では子どもたちに火を教えて上げられるのは、焼肉のときぐらい?
仕事ながら新たな暮らしを提案!などとほざきながらも
やはり寂しくなるときがある。 すべては電気なしには考えられない。

先日夫婦で、テレビに映された中越地震被害者の過酷な冬の暮らしを
みながら、反射式ストーブは準備しておこう!
灯油が手に入らなかったときのために蒔きストーブも必要だよな・・・
やっぱり最後はマキに頼るしかないだろう!!

などと、高断熱住宅を建てていながらちょっとノスタルジーを感じながら
蒔きストーブの小さな復権に小さな期待をしたのでした。