個人的に私はレースのカーテンがどうも好きになれない。
というより、アメリカに行くようになってからそう思うようになった。
それまで、レースカーテンは窓にあって当たり前のものだった。
窓から見えるものに価値をみるアメリカ。
だからなのかアメリカでレースのカーテンを見たことがない。
夕方の薄暗さを感じたいから私はカーテンを開ける。
日中、特に朝などはレースも視界を遮るからと開けてしまう。
それを「外から見えるじゃないの!」とまた閉めてしまう者がいる。
一軒の家で「見る」「見られる」論争しても今更なので、
一人時間帯にそっと楽しむようになった。

もしかしたら、
窓にこんな眺めがあっても付きもののように、
レースのカーテンを引いてしまうのかもしれない。
つい先日、
子どもたちにはどんな景色が記憶されているのだろう?
とアタマをかすめた。
自分は山育ちだから窓からの眺めは開放されていた。
だけど、子どもたちには開放された窓って・・・
教室の窓くらいだったのではないか。
外界とのつながりの窓に境界をつくり、より個室化したのでは・・・
思い過ごしだと思うが、そんなことを考えたらちょっと切なくなった。
写真のように贅沢な眺めでなくたっていい。
外とつながっているを感じる窓。
勉強せずにボーッと外を眺める窓だっていい。
見られたくないではなく、見ていたい窓。
もう少し大切にしてみようと思う。
岩手の注文住宅なら。
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