世話になる

学生時、新聞奨学生という立場だった頃、寮住まいだった。
寮というか、単純な言い方をすれば下宿。
部屋は4畳半個室、飯付き&水道光熱費タダ。
それでいて、給料までもらえるというおまけ付。

ご飯を作ってくれるのは新聞店店長の奥さん。
楽しみは新聞配達を終えた後の奥さんが作る朝ごはん。
これがまたうめがった。
正直、親代わりとまではいかないが、
親のように世話をしてもらっているという意識はあった。

だから、親には反抗できても、
赤の他人なのに、食と住を世話してくれる親代わりの奥さんや店長に
反抗などできようはずがない。

それが今はそうではなくなっているらしい。

先日、下宿を営んでいる人の話。
その人は下宿を初めて30年程、ずっと高校生を預かってきたというが
それも、3年前に高校生を預かるのを辞めたと言う。

 今の高校生はもう昔の高校生ではないんですよ。
 もう我々では手に負えない。
 例えば、廊下で夜キャッチボールをしてガラスを割る。
 廊下でキャッチボールをすることと、ガラスを割ったことを注意する。
 すると、

  何が悪いのよ!
  ガラス代、弁償すればいいんだろ。

 と言い返してくる。そこになぜ悪いかを説くと、逆ギレして怒鳴り返してくる。
 そうこうして、他の部屋の学生も出てきて、
 みんなで主の私を囲んで威圧するんですよ。

 もっと悪いことに、このことを親に伝えると、

  うちの子だけじゃないでしょ!

 と、開き直る始末。
 もう、親もこうなったらこちらとしては手の打ちようがない。
 そう思い、それっきり学生を受け入れるのは辞めましたよ。

そうかあ、そんななんだあ・・・
そんなことを聞かされて、自分の学生の時を思い出しながら
複雑な気分になったのだった。

人と人が関われば、世話になるし世話になっている。
そんな意識が薄くなっているのだろうか。

 で、おとなの自分はどうなのよ?

と、その時その話を単に他人事として受け流せない自分がいた。
世相変わっても、大切にすべきものを見失わないように、
気をつけねばなんねえな、ってそう思ったしだい。

ちなみに、
今ではその下宿ではおとなをお世話しているのだとか・・・

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