昨日は名古屋。
昼は勉強会、もちろん夜は・・・夜の灯り街で一献。
お店に入る前って、どこで食べようか。
何でもいいよ、おいしけりゃ。
とか言いながらも、食べずにおいしいかはわかりません。
メニューの主なジャンルを確認し、あとは店頭の雰囲気で結局決まる。
お店前の灯りって、お店選びの重要な要素だと思いましたね。
今日は、お施主様が撮ってくださった写真を一枚。
家の夜の灯りってきれいです。
そこに住まう家族の温もりを現すような気がしてなりません。
家の灯りって、室内のためだけじゃないですからね。
夜、窓から灯りがもれているだけで、
ああ、帰ってきた~!って思えますよね。
友人知人だって、灯りが迎えてくれたらうれしいですもんね。
ちなみに私は窓灯りにこだわります。
灯りの点いてない家に帰るの苦手。気持ちが寒くなるでしょ(笑
なので、
家人が誰もいない時は、
どれでもいいから一個は窓灯りが見えるようにしてもらっている。
夜、飲み会で遅くなる時でもそうかな。
でも、飲みで遅くなった時は皆寝静まっているかどうかがわかる。
リビング周辺で2か所以上なら、誰かまだ起きている。
明らかに暗めな一個点灯なら皆寝ている証拠。
そん時は・・・ 当然すり足でしょ。
電気代もったいないのはわかっている。
子どもの頃、「電気代がもったいない!」と叱りながら、
私が消し忘れた裸電球消しまくってたおふくろ。
そう言いながら、親父が遅いときや泊まり仕事でいないときでも、
なぜか必ず、外灯を点けっ放しにしていた。
おふくろのこの言行不一致な行為。
子どもの頃はまだ理解できないでいました。
それが高校の部活で最終電車で帰宅する9時過ぎ。
街灯のない田舎路、暗闇の中に点在する窓灯りだけが頼りだった。
そしていつものカーブを曲がった時に見える、
どこの窓のそれより煌々として自分の目に届けられる外灯の光。
数百、1キロ先の灯りであっても、その光が届いたとき
周囲がどんなに暗くても、その時どんなに疲れてても、
間違いなく家に帰れることを確信し安堵する。
子どもの頃に感じた矛盾、この時初めてなくなったような気がします。
家の灯りって、家族の繋がりの一つなんでしょうね。
私にとっては・・・
灯台みたなものかな。
親方、詩人ですねぇ。
我が家も電気代を気にしてポーチライトは点灯していませんでしたが、ガレージにLEDの外灯を取り付け、センサーで点灯させるようにしました。最後の曲がり角を曲がるとそれが目に入ります。
特に、寒い季節は身に沁みますよね。
KENKENさん、主が帰ったことを認知したかのように、
点灯するってのも気持ちがいいものですよね。
わかりますねえ!
冬は特に、灯りのない寒さは耐えられませんよ。